ある夜、港区のタワマンの32階で、友人がぽつりとそう言った。会社は順調で、家族もいて、夜景は綺麗で、ワインは美味い。それでも彼はこう言ったのだ。「俺、帰れる場所がないんだよ」と。
僕は黙ってうなずいた。なぜならそれは、ここ数年、僕が東京で何度も聞いた言葉だったからだ。誰もが小さな声で同じことをつぶやく。年収も、フォロワー数も、肩書きも、何ひとつ「帰れる場所」をくれなかった。
僕がSOLUNAを始めた理由は、つきつめればこの一言に尽きる。
1. メルカリで学んだこと、NOT A HOTELで気づいたこと
僕のキャリアは、いわゆる「スケールするプロダクト」と一緒に歩いてきた。
メルカリでは、CPO/CINOとしてアプリの成長を見届けた。ダウンロード数が一桁、二桁と増えていくのを毎朝ダッシュボードで眺める日々。日本最大のフリマアプリが、誰かの押し入れに眠っていた何かを、誰かの新しい暮らしに変えていく。「個人と個人が、信頼でつながる」。そのインフラを作ったという自負は、いまでも僕の背骨になっている。
そのあと、NOT A HOTELの共同創業に飛び込んだ。2018年から6年間。「家を、シェアして、旅するように暮らす」という思想に惹かれた。実際、できあがった家々は、息を呑むほど美しい。
ただ、走りながら、僕の中でだんだんと違う問いが大きくなっていった。
豪邸を1日単位で買えるのは素晴らしい。でも、僕がほしかったのは、もう少し違うものだった。豪華さじゃなくて、土の匂い。サービスじゃなくて、面倒見。所有じゃなくて、共同体。
NOT A HOTELを愛しているし、創業者たちは今でも友人だ。でも僕は、もう一つ違う方向の「家」を作る必要があった。だからEast VenturesにEnabler Inc.へ5,000万円・優先株5%で出資してもらい、自己資本も合わせてSOLUNAを立ち上げた。
2. SOL(太陽)とLUNA(月)——二つの光が同じ家を照らす
新しいブランドの名前を決めるとき、僕は弟子屈にいた。
北海道、屈斜路湖のほとり。冬の夜、外気はマイナス15度。露天風呂から立ち上る湯気の向こうに、月が出ていた。あんなに大きな月は、東京では見たことがない。湖面が銀色に光って、近くの森から鹿の声がした。
朝になると、太陽が湖の向こうから昇ってきた。同じ場所が、まったく違う表情を見せる。昼は太陽が、夜は月が、同じ屋根を照らす。
SOLは太陽、LUNAは月。人間にも、SOLの時間とLUNAの時間がある。社会で戦う昼の自分と、ひとりに戻る夜の自分。大切な人と笑う時間と、ひとりで星を見上げる時間。どちらかだけでは生きられない。両方を、同じ場所で迎え入れたかった。
Enablerは動詞で、SOLUNAは名詞だ。動詞が場所を作り、名詞が人を迎える。この二段構えが、僕らのいまの全てだ。
3. 弟子屈の夜——TAPKOP、LODGE、天空道場
弟子屈には、いま3つの拠点がある。TAPKOP(タプコプ)、THE LODGE、そして天空道場。
TAPKOP(タプコプ)— 摩周湖と屈斜路湖のあいだ、弟子屈の丘の上
TAPKOPはアイヌ語で「丘」を意味する。摩周湖と屈斜路湖のあいだに広がる、もともと牧場だった土地だ。そこに「花ふらり」という名の家族経営のペンションが建っていた。こじんまりとしていて、素朴で、地元でずっと愛されてきた宿。口コミも高く、リピーターのファンも多かった。そういう場所だった。
その「花ふらり」を、友人と一緒に買った。一頭貸しのガストロノミー、オーベルジュとして生まれ変わらせようという話からはじまった。弟子屈にチームを作り、運営に至っている。
夜、TAPKOPの焚き火を囲むと、不思議なことが起きる。
普段は名刺交換から始まる人たちが、薪をくべながら、急に星や宇宙の話をしはじめる。サウナで汗を流したあと、湖に飛び込んで、月明かりだけで戻ってくる。スマホは誰もさわらない。 夜は程よい涼しさで、温泉のミネラルが体に沁み込んで、気づいたら朝まで眠っている。東京では何年も味わっていなかった、あの「回復した」感覚。
東京から来た20代のクリエイターがそう言ったとき、僕は心の中でガッツポーズした。それだ。それを作りたかったんだ。シンプルで清潔で、余計なものが何もない。だからこそ、人は自分に戻れる。
THE LODGE — 一人で本を読む、原稿を書くための家
THE LODGEは、もう少し静かな場所。一人で本を読んだり、原稿を書いたりするための家。天空道場は、柔術と瞑想のための畳のスペース。三つ揃って、SOLUNA弟子屈という一つの「集落」になっている。
そして、仲間の動きも広がってきた。近くに屈斜路湖サウナ倶楽部が立ち上がった。屈斜路湖のほとりに建つ薪サウナで、汗を流したあと、摩周の湧き水を張った木製バレルに飛び込む。聴こえるのは、風と、薪がはぜる音だけ。弟子屈に来た人が「ここにも帰ってくる場所がある」と感じるもう一点が増えた。
熱海、ハワイ、そして弟子屈へ。それぞれの土地の表情で、僕らの「実家」は少しずつ増えている。
4. 「作る側」と「住む側」を、同じ人間にする
NOT A HOTELにいた頃、あることに気づいた。あれだけ美しい物件を作っても、「自分の家」になりきれない理由が、ある。設計も、素材も、ルールも、全部「作る側」が決めている。住む人は、完成された選択肢の中から選ぶだけだ。
SOLUNAはその構造を逆にしたかった。1口から所有権が持てる共同所有モデルにしたのは、「作る人」と「住む人」を同じ人間にするためだ。所有者は、ゲストじゃない。サウナの薪の種類について議論する。秋の収穫祭の音楽を選ぶ。来年どこに次の拠点を作るかを、一緒に決める。
これは「投資」じゃない。「参加」だ。
技術もその延長で使っている。いま菌糸体で作る断熱パネルと、CLT材を工具なしで組める木組みシステムの実用化を進めている。地方の空き家を、安く、美しく、長く生かすための道具として。自分が住む家の構造を、自分たちのテクノロジーで作る。
5. AI時代の「I」と「We」
AIが進めば進むほど、人間は「I」に閉じこもりやすくなる、と僕は感じている。
AIは僕より僕のことに詳しい。判断も速いし、間違いも少ない。ただ、AIは僕の隣に黙って座ってはくれない。手を握ってもくれないし、何も言わず一緒に焚き火を見ていてもくれない。AIに最適化された「I」は、最後には体温を失う。
弟子屈で、肉を焼きながら、知らない誰かと「最近どう?」と話す。サウナで隣に座った人と、無言で水風呂に入る。柔術の道場で、お互いの首を絞めあったあとに笑う。あの体温と汗と、ちょっとした気まずさを含む時間こそが、「We」だ。
SOLUNAは、AIと対立する場所を作っているわけじゃない。むしろ逆で、AI時代だからこそ「We」を持てる場所が必要だと思っている。Enablerの技術で運営を効率化して、浮いた時間を、人と人がただ一緒にいる時間に使う。
「I」を鋭くするテクノロジーと、「We」に戻れる場所。両方を持つ。それだけのことだ。
6. 青帯のまま、道場を建てた理由
僕は柔術の青帯だ。茶帯でも黒帯でもない、まだまだ修行中の身。
それなのに、弟子屈に天空道場という畳の空間を作る。青帯のうちに道場を建てるのは、順番が違うと思う人もいるかもしれない。
でも、僕は逆だと思っている。
道場というのは、強い人のためにあるんじゃない。「強くなりたい人」のためにある場所だ。だったら、道場を建てるのに段位は関係ない。むしろ、まだ途中の僕が「ここで一緒に強くなりませんか」と言うほうが、正直でいい。
これも、「作る側=住む側」の話とつながっている。完成された人間が完成された場所を提供するんじゃない。途中の人間が、途中の場所を、みんなで一緒に作っていく。
サウナも、ポーカーも、同じだった。資格や肩書きからじゃなく、ただ好きだから深く入っていった。そしてその場所に、同じものが好きな人たちが集まってきた。SOLUNAはその延長だ。ハワイでフェスをやるのも、弟子屈に道場を建てるのも、全部「好きが先にある」。
人生の半分以上、僕は何かのプロダクトを「完成させて」リリースしてきた。リリース日を決めて、バグを潰して、KPIを追いかけてきた。SOLUNAは、その逆をやっている。
住む人と一緒に、毎年少しずつ形を変えていく。
それでいい。むしろ、それがいい。
7. ただいまと言える場所を、みんなで持つということ
弟子屈は、「実家っぽい」場所じゃない。パワースポットとも違う。ただ——そこに行くと、普段の肩書きや焦りが、静かに薄くなっていく。摩周湖の霧、星空、温泉の湯気、焚き火の煙。言葉にしにくいけど、確かに何かが起きる。
この一文に、僕がメルカリで学んだこと(個人と個人が信頼でつながる)も、NOT A HOTELで気づいたこと(豪華さの先にあるもの)も、Enablerでやっていること(テクノロジーで可能にする)も、全部入っている。
太陽が昇り、月が昇り、また太陽が昇る。その循環の中に、誰かの「ただいま」がある。誰かの「おかえり」がある。人間が壊れずにいられるのは、結局そこだけだと、僕は思っている。
東京のタワマンの32階で「帰れる場所がない」とつぶやくあなたへ。弟子屈に、熱海に、ハワイに——ただいまと言える場所がある。1口からでいい。1泊からでいい。一緒に、その場所を持ちませんか。
僕は、そこで焚き火を焚いて待っている。